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ママ・ンギナ・ストリートのコーヒーハウス

 ケニアの初代大統領・故ケニヤッタの若い未亡人「ママ・ンギナ」の名を冠したこの通りは、ナイロビの目抜き通りの一つだ。 500メートルに満たない通りだが20世紀フォックスの映画館、バークレイ銀行、東端にはヒルトン・ホテルが聳えている。
 その通りの中程に"THE COFFEE HOUSE"という古いコーヒー屋がある。
 植民地時代の1953年創業というから、約半世紀の歴史を持つ店だ。 クロームメッキを施した鉄枠のガラス扉を入ると右手がコーヒー豆を販売するカウンターになっていて、浅煎り・深煎り・粗挽き・細挽き・豆のまま等々、好みのコーヒーを購入できる。 その場で飲む場合は店の奥、間口いっぱいに作られたカウンターまで足を運び、セルフサービスで好みの品をテーブルに運ぶ。
 客席を囲む壁面には東アフリカ鉄道建設時代の19世紀末、ナイロビ市街地誕生の様子やコーヒー農園の作業風景、海岸地方ストーンタウンの様子などが軽い筆致で描かれている。 鉄道建設に携わる作業員を覗き込むマサイがいたり、植民地風の装束に日傘をさして歩く白人女性の姿など、それなりに雰囲気のあるペンキ絵だ。 この絵の作者はナイロビの画廊「ギャラリー・ワタトゥ」3人の創業者の内の一女性である、という。
 
 1953年の創業から'63年の独立までの10年間は、おそらく白人居住者や旅行者で賑わう社交の場であったのだろう。 主要輸出産品であるコーヒーを嗜みつつ、地方から出てきた白人入植者や狩猟旅行にやってきたハンターたちがタバコをくゆらし、ホラ話の数々にさんざめく様子が想像できる。
 しかし、英領からの独立直後には独立運動を戦ったケニア各部族の名士たちで賑わっていたと、静岡新聞論説委員として独立直後のケニアに長期滞在、ユニークな取材活動を行った故星野芳樹氏から伺ったことがある。
 国会議事堂や政党事務所を探すよりこのコーヒーハウスに来る方が目当ての人物に簡単に会えたもんだ、と笑っておられた。
 星野氏は新聞社を定年退職後ナイロビに私財を投じて私塾を開かれ、日本の若者にはスワヒリ語とアフリカ文化を、ケニアの若者には日本語を、それぞれ学ぶ機会を提供されていた。 かく言う自分もその私塾―通称「星野学校」―14期、通算150人目の卒業生である。

 植民地という理不尽な体制から脱し、自分たちの国を自らの手で築き上げようと熱い思いに駆られるケニア人たちで賑わっていた頃、或いは、壁のペンキ絵にある様な、ナイロビがただの草原であった時代――コーヒーカップを前にしてそんな様子を想像してみるのも楽しくて、このコーヒーハウスには長年通っている。
 但し、コーヒー自体の味は、正直なところ、今一つだ。 大きなサイフォンを使って抽出したコーヒーを保温プレート上に置いておくのだが、このプレートの温度調節機能が壊れていてガラスサーバー内のコーヒーがぐらぐら煮立ってしまう。 それをカップに注いで出してくれるわけだが、味は<推して知るべし>の予想通り。 今は経営者が代わりサイフォン抽出をやめて近代的なドリップ抽出器具を使うようになったからマシなのだが、それでも豆自体の性格なのだろう、酸味の強いコーヒーが供されている。
 コーヒーの味はそんなだけれども、店の雰囲気が楽しくていまだに通い続けている。
 入って左手のとっかかり、通りに面した窓際席がいい。
 ママ・ンギナ・ストリートを行き交う人の姿が眺められるし、前の舗道に置いた平台で新聞・雑誌を商う人がいつもいる。 通りすがりに平台を覗き込み表紙のタイトルだけ立ち読みして行く人がある。 ひとつの記事から別の記事へ。 新聞から新聞、雑誌から雑誌へと瞳が動く。 白髪頭の売り人もとくに咎め立てすることもない。 僕は立ち読みする人のそんな表情を店内から意外な近さで眺めている。 時折、気配を感じて瞳を上げる人があり、僕の視線とぶつかり合う。 軽いいたずらを見つけられたような気持ちになって、互いに苦笑しあったりする。
 テーブル席ではいわゆる相席が当たり前で、ひとりで行くことの多い僕はいつもどこかの知らない人とテーブルをシェアーする。小さなテーブルをシェアーしていればタバコの火や手持ちの新聞の貸し借りがあり、会話が始まったりもする。 一時は、行くと必ずいて、決まってタバコを1本くれと言ってくる男がいた。 出入り口近くの壁際に陣取り、彼の前にコーヒーカップのあったためしがない。 つまり、何も注文せずただそこに座っているらしいのだ。 午後4時のコーヒーハウス通いが日課のようになっていた時期があるけれど、その男ばかりでなく、何もたのまず午後のひと時を過ごしている常連が数名いた。 注文していないからと言って卑屈になるわけでもなく、実に堂々とそこに座り常連客同士で話し込んだりしている。
 かと思うと、大の男二人がテーブルに広げた新聞に屈み込み、頭を付き合わせてなにやら真剣にやっている。 事件か政治問題に付いて議論でもしているのかとよく見ると、何のことはない、娯楽ページのクロスワードを二人で解いていたりする。

 そんな様子を眺めながら、僕は勝手な想像を巡らす。
 独立後間もない頃。
 新しい国の建設に人々の心は浮き立っている。 国家というものを初めて自分たちの手中にして、しかし、戸惑いもあった筈だ。部族社会単位での<政治>はあったけれども汎部族的に広がりのある政治など体験したことはなかったのだし、植民政府から自治権を受け取ると同時に英国人の作りあげた法律も行政機構も、ほぼそのまま引き継いだのだ。 この巨大システムのからくりを理解しているケニア人は少数だったに違いない。
 それでも、沢山の流血と引き替えに国家主権を得た高揚感はその時代の圧倒的なトレンドであったろうし、これからどうするか、このコーヒーハウスにも議論や夢語りの声音が連日とどろいたことだろう。
 そんな時に、コーヒーを注文しない客を見つけて「ご注文は?」と尋ねることなど、いくら商売とは言え、店主も出来なかったろうし、多分、自身も高揚感から店の売上など構っていられなかったのではないか。 一緒になって口角泡を飛ばして議論をし、独立運動の立て役者たちとその取り巻き、それに、小柄な日本人の新聞記者も混じって賑わう店内の様子に満足していたのではなかったろうか。
――注文せずとも「来たるは拒まず」というこのコーヒーハウスの習慣は、当時の名残で続いていたのかも知れない。

 経営者が代わった昨年末以来、入口を入った正面に「IDLERS NOT ALLOWED」<注文しない方、お断り>という表示が掲げられるようになった。
 以来、十数年来の常連で見かけなくなった顔が幾つもある。 この人たちは、つまり、長年にわたってコーヒーを頼むこともないままこの店に通っていたことになる。 通い続けた方も許し続けた方も、双方の鷹揚さに改めて感じ入りつつ、独立後40年目にしてケニアも大きく変わりつつあるのだなと再認識するような気持ちで、僕はまた、コーヒーを一杯飲みに出かける。

[21 Feb., 2002]


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アフリカ徒然草
 目 次

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筆者口上
@余命6ヶ月と宣告されてケニアにやって来た老ドイツ人に出会った
Aママ・ンギナ・ストリートのコーヒーハウス (表示中)
Bエチオピア<ボディ族>訪問記 「古代に生きる人々」
C<ンゴマについて>異聞
D<マハレとタンガニーカ湖 Since 1985> (未完)
Eジュアールティー 〜遠いアフリカ〜
F巨人伝説 〜南アフリカ〜
G地球史カレンダー
Hアフリカに育つ息子たちへ
I稼いでは遊び、遊んでは稼ぎ
J水深5メートルの退職金

Kケニアで最初にルビーを掘り当てたのは日本人



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