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MasaiBeads

ンゴマについて

文: 俵 貴実

構成: サファリの手帖


<このページの内容>

↓<RAFIKIの会>掲示板掲載分↓
NGOMAって何だろう?
初めてM氏に出会ったのは、
ギリアマ族についての説明
使われる主な楽器は、

「ゴンダ(Gonda)」にふれた時の話
これで最後です

↓<RAFIKIの会>有志宛 Eメール配布分↓
1.ンゴマは単なる太鼓ではない
2. ンゴマはたくさんの意味を持ち、
別の話
3.ちょっと悲しい現状

MasaiBeads

Ngomaって何だろう?
スワヒリ語でいうmuziki(※ミュジィキ)は日本語で"音楽"と訳せると思う。 これは、今の日本人の音楽と言うものとmuzikiの語源である<music>と言うものに大した差がないからだ。
でも、Ngomaはどうだろう? 打楽か? 太鼓か? どうもそれだけじゃないような気がする。 また、日本語で言うところの「音楽」でもないように思う。 多分、Ngomaというのは、この国の色々な文化の大事な1つであって、そして、僕達の文化の中にそれがないので、それを自分達の言葉でうまく言い表すことが出来ないんだと思う。


僕は、今でも特に親しい友人であり師でもあるケニア・ギリアマ族のM氏と出会い、彼が僕の前にあった「Ngomaの世界の扉」を開けてくれたおかげで、Ngomaの世界を旅することが出来た。

――Ngomaはまるで生き物のように、また、当たり前のように、存在していた。

そこには、朝起きて服を着たり朝御飯を食べながら聴く音楽や、夜、家へ帰って来てご自慢のステレオでゆっくりと聴く音楽などは存在しない。 また、高いお金を払って、見に行くんだか聞きに行くんだか分からないような音楽や、音楽教室などであたかも特別な事として学習する音楽は存在しない。 しかしNgomaは、それらの音楽よりももっと深く、濃く、有機的にどちらも2つに分けることなど出来ないほど密接に、人々の暮らしと結びついていた。
そう、それはまさしく生きていたのだ。 

"NGOMAの棲む地"

そこで体験したこと全てが誰かに伝えずに居られない事だったので、ここに少しずつ書いてみる事にした。
 

初めてM氏に出会ったのは、年上だけどジャシー後輩のけーこさんの結婚式でした。 たまたま、その時隣に座ったのがM氏で、当然、身の上話しになりまさあーね。

     俵  「あんた何やってんの、仕事?」
     M氏 「僕はアーティストだ。」
     俵  「アーティストって何よー? 絵描きかい?」
     M氏 「いや、パーカッショニストだ」
         (俵カチンとくる。 今も昔も、こういう言葉には敏感だ。)
     俵  「なによ。 オレも横浜でブイブイ言わせてたのよ」
     M氏 「そーか!それなら、今から2人で 新郎新婦のために、 太鼓を叩かないかい?!」
         と、ニコッと笑う。 (その笑顔がまたカチンとくる)
     俵  「おっ! いいじゃん! やろうじゃん!」

といった感じで、2人で太鼓を叩いた。 確か叩いた太鼓は、ルオー族のオルトゥのとき棒で叩かれる太鼓で、筒状の大きい缶のようなものに上下皮を張り、現在でもナイロビのグループがよくドラムセットのようにして使っている、みんなも良く知っているものだ。 それを手で叩き、その結果、僕は彼によって一万光年吹っ飛ばされた。 正直、僕は彼の手からくり出される強烈なビートに自分を見失わないようにするので精一杯だった。
やったのは確かサンタナもどきの16ノリのインテンポものだったと思うが、それを彼があの手この手で仕掛けてくる。 時間にすれば4、5分のモノだったと思うが、それでも僕の鼻っ柱をへし折るのに充分な時間だった。 また、彼も彼で僕を変な日本人だと思い、お互いに気が合って、僕は彼に太鼓を習う事になった。
しかし、色々な事情で再び彼に会い実際に太鼓を習い始めたのはその約10ヶ月後、帰国の1週間前だった。

その頃、彼は日本人やドイツ・イギリス人などのへなちょこJAZZミュージシャン達とやったりしていたので(中にはヒュ-・マサケラなどの有名人もいたらしいが――)、教えてもらえたのは基本的な音の出し方や、そういった場で彼がするアプローチの仕方、彼自身のメソッドなどだった。
そんな中で彼が歌い叩いてくれた彼の民族「ギリアマ」の唄。
たった1つのその唄が、後にまた再び僕がケニアへ渡り、この話の始めの所に繋がるきっかけとなったのだ。 不思議なモンダ。

帰国後暫くすると、日本を含め世界中で、西アフリカ・ギネア出身の偉大な太鼓叩きママディ・ケイタ氏を通して<Djembe>「ジェンベ」という太鼓が流行り始める。 もちろん僕もこの中にいて、普段は長野県のあたりに居て、時々、東京・横浜・名古屋などの町に降りてきて、インチキな商売をするDjembeグループの用心棒みたいな事をしたりしていた。
しかし、Djembeを叩く自分。 ケニアでギリアマ族に太鼓を習った自分。 スワヒリ語を話す自分。 西アフリカのマンディング族の太鼓であるDjmbe――西アフリカへは一度も行った事のない自分。 日本でその筋と呼ばれる人、または書物で言われている、いわゆる"東アフリカ(ケニアなど)には西アフリカに比べ伝統的な音楽・芸能といったものが無い"といった話を聞くにつれ、自分の中にどうにも居心地の悪いバランス感覚が生まれた。 
本当にケニアを含め、東アフリカの伝統芸能はそんなにレベルの低いものしか無いのか?
有名なギネア、マリなどに住むマンディング族のそれ。 セネガルのウォルフ族のそれ。 ナイジェリアのイボ、ヨルバ族のそれ。 ガーナのアシャンテ、エウェ族のそれ。 それらに較べて、本当に程度の低いものしか無いのか? 
色々な音源や、実際に一緒にプレーする事が出来た太鼓叩き達。 ピンからキリまで居たが、その中でも例えば、ハイチ政府が呼んで日本へ来た太鼓叩き、確か名前はアゾールだったと思う、この人なんかは確かに凄かった。でも、較べてみてM氏が劣っているとは決して思えなかった。 また、少しだけだが、金を払ってワークショップに参加したりもした。 しかし、どんなに上手でも彼らは西アフリカの人達で、ケニアの、東アフリカの伝統音楽など知っているはずが無かった。 そりゃそうだ、西と東はあんなに離れているし、その間にはあのザイールがあるんだから、これはオレがバカだった。 また、今さらいちいち言わなくても日本人はとにかく皆100%駄目で、話にもならなかった。(これは今も現状は余り変わっていない)。

誰も頼りにならない。 多分、自分が正しいんだと思う。 ケニアにも、東アフリカにもきっと素晴らしい伝統音楽、文化、芸術形態があって、それより何より、自分はケニアのジャシーでスワヒリ語を学び、縁あってギリアマ族のM氏に出会い、太鼓を教えてもらう事で感じたあのカンジ。 しかし、いま自分が叩く太鼓の、お父さんもお母さんも分からない。 そんな、自分の中のどうにも居心地の悪いアンバランスに決着をつける為、再びケニアに帰る事を決意したのです。 手掛かりはM氏を通して垣間見たあのカンジ。 たった1つだけ知っているギリアマ族の唄、それだけ。 でもそれだけだったけど、それしか無かったけど……、ホント、それしか道は無かったんだ。
 

まず始めに、M氏のギリアマ族についての簡単な説明をしたいと思う。
Giriamaとは、ケニアの海岸部に住む「ミジケンダ」と呼ばれる9つの民族の中の1つで全てバントゥー系であり、他に、Kauma(カウマ) / Chonyi(チョニ) / Dzihana(ジィハナ) / Kambe(カンベ) / Ribe(リベ) / Rabai(ラバイ) / Duruma(ドゥルマ) / Digo(ディゴ)などの民族が居る。 彼らは皆「Singwaya」(シィングワーヤ)と言う自分達共通のルーツに関する伝説(言い伝え)を共有している。 これはこれで、そんなことに興味のある人にはめちゃくちゃ面白い話なのだが、長くなるのでまた今度書いてみようと思う。 
キーワードは、Singwaya(シィングワーヤ)Makaya(マカーヤ)<-Giriama/-Bomu/Kauma>などだ。 ケニアに居る人はM氏に直接聞いてみたり、Mjikenda(Mdzi-chenda)の人達(特にムゼー)に聞いてみたらいい。*Bomu=Rabaiです。 
 

使われる主な楽器は、まず、Mushondo――スワヒリ語ではMusondoと言うが、ムソンドはルイアの人達の言葉で<ケツの穴>と言う意味なので、ここではムションドと呼ぶ。 
長い筒状の太鼓で、長さは大体1M前後、張った皮の上にムピラ(※スワヒリ語でゴムの意)という黒い粘着状のモノを中央に円をかくように張り付け、インドの太鼓「タブラ」のような、トゥーンというインベーダーゲームのような音を出す。 これが無いとコンガのような音になってしまう。 つまり、倍音を出す為だ。 こういう倍音の出し方はザイールやブルキナファソなどの国にもあるらしい。 どなたか詳しいことを知っている方は教えて頂きたい。 
叩き方は、通常スラップと呼ばれるスナップを効かせて「パキッ」という音を出す叩き方と、指のひら全体を使って先程の「トゥーン」という音を出すオープン。 それに、皮をミュートしながら叩くクローズがある。 また、片手で皮を拝むような手の形で音をベントさせながら叩いたりもする。 
張る皮は田舎では小型のレイヨウ類(ブッシュバック)などを使う。

次にBumbumbu「ブンブンブ」。 3本足の筒状の太鼓で、大きさは机のようにデカい物から、小さい物まで色々ある。 が、通常、高さ50cm前後で口径は40cm前後、3つずつ開けた穴を1つに縒って、人さし指程の棒を突き刺して皮を張る(穴が3つというのがミソ)。 ムションドと同じくポピュラーな太鼓で、よく一緒に使われる。 Djembeのようには太鼓の中央を叩かず、手全体で中央より一寸端を叩くオープンとクローズ、そしてスラップを多用し、また、指で太鼓の面をすってブウーっという装飾音を出したりもする。張る皮は、先の動物達の他に、都会ではヤギや牛などが使われる。

3つ目はChapuo「チャプオ」で、これは35cm前後、筒状の木の両側に皮が張ってある太鼓で、各両側に枝を曲げて作ったリング2つずつを使って皮を挟み(この時、先のムピラの原料である白くてベトベトする樹液を使い、皮を張り付ける)、椰子の実の繊維などから作った紐で皮を挟んだリングごと縛り、両側を引っ張りあわせて皮を張る。 通常二人で1組みのリズムを叩く。

また他に、棒で叩く金属のDebe「デベ」(これはドラムセットのハイハットや、ライドシンバルのようにタイムやノリをキープし、全体のアンサンブルをリードする大切な役目)。 Chechemeko「チェチェメコ」Kayanba「カヤンバ」等のシェイカー類――チェチェメコはスプレー缶を使って出来ている。 昔はどうだったんだろう? 瓢箪などを使っていたのか? それとも、比較的新しい楽器なのか? また、カヤンバはナイロビでも色々な所で売られているし、カニサ(※キリスト教会)とかでも他の民族が使っているから知っている人も多いと思う。 アラブからの影饗が見られる、竹のリードがついているBungo「ブンゴ」や、横笛のシボティ(スペル分らず)、マリンバ(木琴)等もある。
 

M氏のお父さんのムゼーC.Sと彼の村にあるNgoma「ゴンダ(Gonda)」にふれた時の話


僕の友人であり師匠でもあるM氏の父親は、ギリアマ族のゴンダと呼ばれるンゴマの殆どキングと言ってもいい程の大家であり、有名なムガンガ(※伝統療法士。呪術医)でもあるという。
僕は先ずナイロビでM氏から「ブルーシ」というンゴマを1つ習って、彼の父親の所へ会いに行った。 

そこはマリンディ(※ケニア海岸部。ビーチリゾートとして有名)の町から歩いてすぐの所にあるのだが、僕を含め皆が持っている様なイメージのマリンディではまったく無く、人々の生活はもっとトラディッショナルなものだった。 歩いていてあんまり急に雰囲気のがらっと変わった場所に入り込んでしまって、まるで、「その村だけがスポッと辺りと切り離されてしまった異空間」に迷い込んでしまった様な錯覚に襲われる、そんな場所だった。

その村に着いてみて先ず驚いたのは、M氏の家族の多さだった。
M氏の父親(ムゼーC.S)はとってもたくさん奥さんがいて、その子供もこれまたたくさん居るのだった。もうムゼー(※スワヒリ語。高齢者への敬称)と呼んだ方がいい老人から、殆どまだ赤ん坊まで、皆ムゼーC.Sの子供。 皺クチャのお婆さんから、こっちがドキッとするような若いお姉ちゃんまで、皆ムゼーC.Sの奥さん。 正確な数を調べた訳では無いが、かなり、かなーりの大家族だ。 この村の人達の殆どがムゼーC.Sの血縁なのだから……。
まずムゼーC.Sに挨拶をして、M氏のお母さんに挨拶をして、他の奥さん方にも挨拶をして、荷物を置かせてもらって……等々を終え、さっそくンゴマの練習だ!

ゾロゾロ居る子供達と一緒に、少し歩いた所にある大きな木の下へ行く。 後ろからブンブンブ2つとムションド2つを持った子供達がついて来る。 始めに子供達が"Katoto Katoto"「カトト・カトト」等を見せてくれる。 OK!これは簡単だ。 しばらくすると、もう少し年上の青年達が集まって来る。 今度はデべも入ってだんだん本格的なアンサンブルになってきた。 
ここで、このデべの所でまずつまづいた。チキチッチキチッと3つを叩くだけなのだが、僕は下に落とすといった感じの棒の振りなのだが、彼らは何というか上へ抜くといった感じなのだ。 これはゆっくり叩いている時はあまり分らないのだが、かなり早いスピードで叩くと如実にその違いが見えてくる。 手順はオルタネート(左右交互)で叩くのだが、これだとスピードが早くなると僕の場合、打面に棒がくっついてしまった様になる。 そのため音が潰れてしまい、ある程度以上早く叩く事が出来なくなる。 しかし、彼らは物凄いスピードで、僕と同じ手順で叩くのだが、全て、アップで叩いているので棒が常に打面から離れていて、早いスピードのまま音は潰れずに叩けるのだ。(これは、今では練習をして少しはまともになったのだが、意識をせずに叩ける向こうの人達と、意識をしても、まだ練習が必要だった自分との差、今でも僕にとって大きなテーマである。) 
そうこうしているうちに、M氏が1人の老人と一緒にやって来た。その老人は、村で数少ないよその村出身の人で、M氏の父親の仕事(ムガンガ)の補佐をしているんだそうだ。 また、ムゼーC.Sのンゴマ「ゴンダ」においても重要な役割をしている、言わばムゼーC.Sの片腕とも言うべき人だった。
その老人がM氏と一緒にいくつかのンゴマを叩き始めた。
それは、今までに聴いた事が無い不思議なンゴマで、2人が叩き出すリズムは急に途切れたり、また、今度は流れるように歌い出したり、インテンポなのか? そうじゃないのか? まるで分らない……。

それが生まれて初めて聴いた「ゴンダ」だった。

ゴンダは、まずデベがベースとなるテンポを送りだし、それに大勢のブンブンブとムションドが加わり、ムションドか、1人の掛け声を合図に皆でユニゾンを叩くのだが、これがリズムと言うより、一緒に歌われる唄の節とまったく同じように叩くか、前で踊る踊子の振り付けと同じように叩くので、これが通常、我々が考えるアフリカの音楽(インテンポもの)に比べ、唄と一緒に急に間が空いたり、かと思えば、不思議な転がり方をしたりと、とにかく一度聴いただけではタイムが見えにくく、覚えにくい。 
とにかく、そのンゴマの始めの所を教えてもらう。

唄の節はこうだ。

カムキラ ムンダマニャ カルメ (×2)
カジ カジ カジ ンダマニャ 
ゴシナレメザ ウラヤエ ジャルマニ ナ カジ チャロ
ハー ハー アエハー カラマ ウザケタ ミジンガ・・・・

助手の老人が唄いながら叩いてみせてくれる。
1回目ダメ、2回目もダメ、3回目も全部覚え切れない。
老人は少し呆れ顔だが、辛抱強く繰り返し繰り返し叩いて見せてくれる。 しかし、決してゆっくりと一つ一つ手順を追いながら教えてはくれない。 ただ叩いてみせてくれるだけだ。 口で太鼓言葉で唄って教えてくれたりもするが、まだその言葉の一つ一つが理解できないので、覚えられない。 とにかく、自分の目と耳だけを頼りにして、よく集中して覚える。 ここの人達のやり方はこうだ。 だから、僕はこのンゴマを覚えるのにほぼ1日かかったし、M氏はほとんど3回聴けば覚えていた。 つまり、出てくる音に集中して聞き取る能力のすぐれた人は簡単に覚えられるが、その能力の低い人はやたらと遅く、時間がかかってしまう。 従って、現地の子供達である程度上手に叩ける人は皆、目と耳と、あと音に対する集中力が凄い。

ヨーロッパ人のように「音を記号にして書き記す」という事をしない代わりに、その場で、本当にその場で、それをそっくりそのまま見せ、伝えていく。 一見、非効率的に見えるこのやり方は、実は食べたものをゆっくりと時間をかけ体が消化していくように、本来カタチのない生き物である「それ」、そのままを一番ダイレクトに伝えられる方法ではないかと思う。 そうやって覚えた「それ」は、実際僕の中にも匂いや皮膚感覚といったような感じで残っている。

だから、そうやって伝えられてきたものを全くトンチンカンなやり方でしたり、外から持ってきた全く的外れな知識で解釈しようとするから、どんどん僕達にとってわけの分らないものや、得体のしれないもの、理解できないものになってしまい、やれ「アフリカ人に流れている野生の血がなんたら」とか、「アフリカ人の持っている天性のリズム感がどうたら」とか、ケイハクな感動バカや、日本人に多いえせ物知り野郎の言う言葉で片付けられてしまうのだ。 
これはよくない。 絶対に良くない事だと思う。
 


※サファリの手帖※

ここまでの記載とそれ以前になされた筆者の記述に対し掲示板管理チームから使用用語に関する警告が掲載され、
賛否両論の複数投稿が掲示された後、筆者は以下を投稿し掲示板から撤退してしまう。



これで最後です


親愛なるXXさん。 色々迷惑をかけてすみませんでした。これでバイバイです。許して下さい。

(中略)

アフリカ大陸は、とても日本から遠くて、バカでかくて、1人の人間なんて、簡単にガバッて飲み込まれてしまって、結局何も分らずじまい。 1人1人の見た事、聞いた事なんて、本当にちっぽけな物で、力を持たずに、結局誰も何も分らないんだよ。

でもだから、一人じゃダメだけど十人居たら? 百人居たら、どうだろう? 
俺はもっと、本当に色々な事、ドキドキするような事に発展するような可能性、そんなドキドキワクワクはもっとたくさんあると思うんだ。この掲示板も。 何だか、そんな1人1人の一片一片を皆で分かち合えるもんだと思ってた。

あのね、俺が書いた事なんか、たいした事ないんだよ! 俺だって分らない事だらけなのよ! 間違っているかも知れない? そうじゃないかも知れない?

今までケニアを含め、東アフリカの伝統音楽は本当にひどい扱いしかされなかったのよ!  これはホントーヨ。

いくら否定的な態度をとっても、流れる川は止められないぜ。確かに、何でも軽々しく無責任に感動する人も居るし、本質を知りさえしないのに、あたかも知っているかのような態度を取る人もたくさん居るんだよ。で、そいつらが何をやっているか?
ケニアの、アフリカの、形の無い素晴らしいものの搾取だよ!

必要最低限の努力をしない人達にはギブ&テイクなんてチャンチャラおかしい。それはドロボーだ。

俺がXXさん、XXさん他に敬意を欠いていたのなら、それは、どうもすみませんでした。 ごめんなさい。 でも、今までに自分が責任を持って発言した中に、不適切な言葉があるとは思いません。 全て、自分の立場をはっきりさせた上で、やっぱりインチキはインチキです。 これは絶対にゆずれないよ。 個人の名前を出している訳じゃないし、胸がムカツクのなら読まなければいい。

元々、無機質で、便利なだけの立場で、これ以上あたりさわりなく書いている人間の顔も見えないような・・・。 俺がエバッてて、鼻もちならない若僧だって? そういう風にとれたならそれはそれで構わない。 こんなのって皆にとっては非常識かも知れないけど、俺にはじゅうぶん常識だよ。

最後に、XXさん、ごめんなさい。全部書けなかったよ。

俵 貴実

PS 今、店に A Change is gonna come がかかってる……。
 



掲示板撤退後1ヶ月ほど後、筆者は以下メールを複数の個人アドレス宛に配信し、この項を終える。



俵です!


1. ンゴマは単なる太鼓という意味ではない。

まず、XXさんがクチェザ ンゴマやクピガ ンゴマなどと書いてくれたのは当たり前の事で、そんな疑問を持つのは特別難しい事でもなんでもない!のです。 
だって、ミュズィキ(※音楽)、ホスピタリ(※病院)、ダクタリ(※医者)って全部英語がネタ元でしょ。 じゃあ、その言葉と共に白人がやってくる前には、この土地には音楽や、病院や、医者は存在しなかったの? ホントかよ!?
ムガンガ(※ハーバリスト。伝統療法士。呪術医)、ムガンディニ(※ムガンガのいる所)、ムヮリム(※教師。広義に医者の意も)、ムチャウィ(※呪術・魔術を行う者。呪術医)、この言葉は何なの? 
ンゴマって何? 
ホスピタリ=ムガンディニ/ムガンガ、ムヮリム=ダクタリ。
 もしこれらがイコールだったら、何で全部をホスピタリ、ダクタリ、ミュズィキに統一しないんだ?
ねえ、こんな事をちょっと考えれば当たり前の事であって、別に難しい話しや専門的な話しをしているんじゃない。 やんなっちゃうよね、XXさん。 当時、僕もXXさんと同じように疑問に思った。
でも、その答えを教えてくれる人は誰もいなかったし、どこにも書いてなかった。 
大切なのは、僕は不思議な巡り合わせで、M氏に出会いギリアマのンゴマを習う事によって、忘れていたこの疑問を解く鍵を見つけたんだ。
 

2. ンゴマはたくさんの意味を持ち、それは各民族の特色あるスタイルで、様々な形を通して行われる人々の行為でもある。

 あのさ、ブンブンブは太鼓の音がブンブン鳴るからじゃなくて、インド洋の外海はすごい波が荒いじゃない、それが岸壁にあたって、ンブーン、ンブーンって凄い音を立てるデショ? あれがネタ元。
その音がして、その辺り(海の近く)で作られた太鼓だからブンブンブっていうんだって。 M氏がそう言ってた。 真偽はともかく、じゃあ、やっぱりスワヒリ文化や、スワヒリ族達の起源にミジケンダの人達は、密接に関係しているのかなー? 現在、彼らはかなり内陸の方まで生活の場所を広げているけれど、こんな疑問が浮かぶのも当たり前の事です。 
XXちゃん? よく言語からそれらの関係を探っていたね。
僕は言語は得意じゃないから太鼓で勝負だ!

チャプオはさ、スワヒリの人達もチャカチャでよく使うよね。 タンザニアの海岸地域もコモロの人達だって使っているんだよな。 いったいこの太鼓は何処から来て、何処まで伝わったんだろう? ズマリやブウゴなんかは、竹のリードのラッパでもろアラブ圏だよね。
ラム島やザンジバルやペンバなんかでは、タールのようなフレームドラム(でかい鈴のない皮付きタンバリンみたいなもの)があるのかな? でも、ミジケンダでは見ないなー。 
さっきのチャカチャは白人圏のミュージシャンの言う8分の6拍子だ。 これは、ミジケンダのンゴマのいくつかの種類にも見られるし、アフリカ全土にこのノリはあるけれど、アラブのいわゆるベリーダンスみたいなノリとちょっと違うし。 どっちが先なんだろう? アラブからイスラム教と共にアフリカに渡ってきたのか、もともとアフリカにあったのか。 うううーん、どうなんだろう?
 

別の話
  
 キスム近辺のルオー族のニャティティ、キシー族のオボカノ、カカメガ周辺のルイア族のリトゥング、形や大きさ、演奏形態、違いはあるけれども全部8本弦のハープ、皆「カンバ ナネ」とも呼ばれている。
何で8弦なんだろう? 両手で4本ずつ弾く。 この間ルオー族の踊り手のオモシ氏に教えてもらった。ルオー男性の生まれてからの4日間、死んでからの4日間。 この生と死の4日間ずつは特別な意味があるらしい(女性の場合は3日間ずつ)。 
その真偽は兎も角として、1つ僕が言えるのは、全ての物事には意味があると言う事。 
アフリカの各民族の伝統的音楽形態において、全ての事には意味があり、長い歴史の中で何らかの意味があってそれが生まれたのであり、我々が考えるような、フリージャムセッションなどのようなものは無い。 
つまり、その1つ1つの楽器がそこで生まれ、使われるようになって行ったのには必ず訳があり、ンゴマもただ人が集まって太鼓を叩いて楽しんでいるのではなく、リズム、歌、踊り、その一つ一つに意味がある。 そういった一つ一つを無視して(ミソもクソも一緒にして)しまっては彼らのその秘密を知る事は出来ないし、また日本人である(ネイティブでない)我々はそれをある程度頭で論理的に学習する事も大切だが、そのウタム(※スワヒリ語。おいしさ、味わい、滋味の意)はそれと一つになって初めて味わえるという事。 このバランスがとても大切だという事を、先日うちのがッこ(※ジャシー)の卒業生の、京都の面白いお坊さんと話していて再確認した。 ありがとうカンさん。
そして、大切なのはその秘密を教えてもらう為には、常に何故?と思う事が大切なんだ。 これはオモシ氏に再確認させられた、ありがとう。
そこで疑問。 ルオーはナイロティック。 ルイアとキシーはバントゥ-。 (※8本弦の意味は)他の2つも同じ理由なのか? それなら1本1本の弦もそれぞれの意味と呼び名もあるだろう。 他に1本弦のバイオリン、オルトゥ(ルオー族の呼び名)や、シリリ(ルイヤ族の呼び名)にも同様の疑問が残る。うーん、何故だろう。
 

3. ちょっと悲しい現状。

東アフリカの伝統音楽の悲しい現状をみんなはどれくらい分っているのだろう?
僕が学生の頃、東アフリカ伝統音楽について詳しく教えてくれる人は誰もいなかった。 今もそんな人は1人も居ない。たいてい伝統芸能やなんかは西アフリカだ。 東アフリカはマサイ族と野生動物。 ケニアは今も昔も日本に近くて結局メチャメチャ遠い国なのだ。 これがルワンダやブルンディといった国だったら、日本から遠くて結局メチャメチャ遠い国なのだが。 ケニアはナイロビが日本でもアフリカ代名詞と言った感じで、一般の人達にまあ、他にくらべよく知られている国だ。 でも、その実体は結局色々な顔を見せるこの国の一面だけを歪(いびつ)に異常にクローズアップした形でしか知らされていない。そこには、そこに実際に住んでいる人達の息使いすら認めていない。
 何ともマンガチックで、極端に貧しかったり、危険だったり、動物だけの世界だったり。 何か、全部極端なんだよな。 一体みんながアフリカ!アフリカ!と連発する時、何を指してアフリカと呼ぶのだろう?日本の事を話している時にアジア!アジア!と呼ばれてムカツかないのかな? 日本と韓国の違いも分らない外国人が、全てアジア!アジア!と一括りにしているのと同じ事だよね。 
確かにアフリカ大陸という土地に息づく何か普遍的な物もあるような感じがする時もある。 
けれどその一方では、ケニアだけでも、ほんとにたくさんの民族が住んでいるし、その中でも似ているグループ全然違うグループ、ホントにたくさんいる。 その一つ一つの民族の事を少しも知ろうとしないで、アフリカ!アフリカ!と連発するのはやっぱり変だと思う。 普通の神経じゃないよね。 これは日本の一般の人達はおろか、うちの卒業生の中にもたくさん居るんだよな。 知らない、ということを偉そうにエバラないでほしい。 こんな事、俺なんかに言われなくても皆分っている事だと思うけれど……
 
ナイロビで売られているカンバ族のあの足の付いた太鼓みたいなテーブル。 あれが、某音楽大学の打楽器研究科の民族楽器資料室に「ンゴマ」<東アフリカにみられる足付き太鼓>として飾られている。 あれは、太鼓ではないし、ただのテーブルだ。 それはそこの学長のコレクシ